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人は信頼できる仲間や家族が必要です!心に栄養を!

 人 が「人」として生きるには? 

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 1.人としての役割と自覚
  繰り返して示すが ---人は生まれながらには無知無能であり、しかし、全て(あらゆる)の可能性を持って生れてくる。どう成長するかはまわりの人間と環境と本人に託されている。又、たとえ立派に成人したとしても自分1人で自分の命を支えているとはいえない。何故なら、それは人が人間の社会という集団システムの中で生きているからに他ならないからだ。つまり人が生きているという事実は、社会という相互依存と協力関係の上に築かれているものなのだ。もしそれが無くなれば人は自分の生命さえも維持できなくる。これは戦争などの非常時に顕著に見られる事象だが、戦争に限らず発現しうるものである。又、社会的な教育や生活習慣が荒れてくると社会全体の荒廃をまねく。もし自分の命に少しでも執着があるならば、少なくとも社会や国政のあり方に気を配るとともに積極的に関わっていくしかない。自分の命は自分の責任において守らねばならない。誰もすすんで他人の命に責任は持ってくれない----

 以上のように人間は、集団(社会)の中でのみ人として存在(又は生きる事)ができる生き物である事(一人で生きているなどというのは幻想又は勘違いにしか過ぎない)は、何度も申し述べてきた事だが、ではその中で一人一人の人間はどういった役割なりスキルが求められ、またどの様な生き方ができるのだろうか。
  まず、現在の日本社会が国民に期待する人間とは社会規範(憲法・法律・規則・規約等のルールや約束)を守り、民主主義経済を円滑に発展させうる諸活動を行う人間である。主な例として、労働者(公務員・サラリーマン・フリーター・パート・自営労働者・他)、消費者(生活のために商品やサービスを購入)、議員、等々。ほとんどの日本人が労働者である共に消費者ということになると思う。

 確かに働かなければ、収入が得られず消費もできない。
 働くためには、(企業等から求められる)能力・スキルが必要になる。
 頑張って学習し、働いて、経済的安定を得る。
  (国としては国民は余計な文句を言わずに働き、気持ちよく消費しろ!という事だろうが、もしこれだけだとしたらバカにするにも程がある)

 しかし、これだけでは、社会の求める本来の役割を果たしていない。「国政のあり方に気を配るとともに積極的に関わっていく」ことが必要だ。
 又貴方が本当に幸せになるためには、貴方以外の人の幸せをも実現していく努力が必要だ。「3.現代社会の中の自己実現と幸福」を参照のこと」

 しかし全ての人間(おなたを含めた)がこのような摂理の本質を理解できる訳ではない。夫々に理解力に違いがあるからだ。中には頭から否定する人間もいるだろうし分かっていても損得勘定から認めようとしないもの等(国際的に言うとアメリカや北朝鮮がこれにあたる)も存在する。理解できても生命維持に懸命で余裕のない人もいるだろう。
 本来、教育とはこのような多様な人間全てに対して、上記のような摂理の本質を理解できる力を与えるものでなければならない(現在の教育は程遠い内容であり、教育基本法に規定される「人格の完成」をまったく軽視している)。
 という事は、もし貴方がここで述べられている事柄を理解できないのであれば、その責任の一端は教育にあるということも言える。勿論、家庭環境、社会環境、個人の能力他様々な要因があるのだが、社会的にはやはり教育が担う責任が一番重い。
 さて、現在各国においての教育はその国に委ねられており、その内容は当然国の体制や経済状態に左右される。ここに知識の偏りと国民性が生まれる土壌がある。幸いにも現在の日本においては教育内容においてひどい偏見や嘘を教えてはいないようだが、育て育むという視点が足りない事から、人格形成に寄与しているとは言いがたい。それでも子供たちは大人にならなければならないわけで、物事の理解力において貧弱な大人(子供たちと言い換えても良い)がこれからの社会を作っていくという危機が訪れようとしている。
 このような社会には何が必要かいうと、理解を超越した真理(ヒーロー・指導者)ではないかと思う。 

 このような中で、昔(一部の国では現在も)は宗教が力を発揮してきた。
 宗教は理解というアプローチではなく信じる心という誰でもが持ちうる力を以って、真理に近づく道を示めすことを可能にする。
 そして受け取る側に理解能力がなくても直感的(又は感情的)に訴えるものがあると個人的能力如何にかかわらず受け入れ易くなる。反面過去に何度も政治に利用され悲劇を生んできた事も否めない。     

 2.宗教の現実と役割
 人が社会の中で生きていくには、物(衣食住)だけでは不足だ。心のあり方というものが重要であり、その人の生き方や生きる方向付けを決定するのはその人の考え方(心)である事は誰にも明白だ。そして、そこには社会の価値観が大きくかかわっている。
 全世界の過去の例を見てもわかるように宗教の教えは、人生観(生きる意味や目的)に多大な影響を与えてきた。教えを信じることで前向きに生きるよすがとしてきた人間も多く存在する。宗教にとってはその教え自体が科学的に正しいかどうかではなく、人間の心に希望と安心を与えられるかどうかが重要となる。もちろん万人が信用できる程度の理論的整合性は要求されるが、厳密に事実に即している必要は無い。要は信じる心の問題となる。
 ただ、これは宗教が人の心及び平和のために正しく利用された場合である。これが政治と結びつき利用されると、取り返しのつかない事態を招く。パレスチナやイラクの問題がこれを物語っている。
 一方現在の日本の宗教はどうなっているのだろうか。大多数の日本人にとっては葬式でしかお寺とかかわることが無く、年一回初詣での神社参拝と言うのが現状だろう。これは、戦後の高度成長で置き去られて来たものの一つといえる。
 本来の原初仏教(釈迦の教え)の教えは、他の宗教と違い絶対神(イスラム教=アラー、キリスト教=創造主又はキリスト、ヒンズー教=神様は沢山いる)をおかず、自分の力で悟りの境地を目指すという、人間哲学の集大成の教えである。いわば自力本願であり、自分の中に宇宙が存在するのである。後世になり、他力本願を唱え、民衆に受け入れられた宗派もあるが、これは宗教として人の心を救うすべとしては許容される範疇に入るが、本来の仏教思想(宗教ではなく哲学としての)とはまったく違うものといえる。とはいえ、日本では長い間宗教の一つとしての仏教は、生活の一部として日本人の心を支えてきたのも事実であり評価に値する。
 では何故、戦後の日本において宗教は顧みられなくなったのだろうか。実はその主な理由は、物質的な豊かさと教育の質にある。日本の庶民信仰の特徴として「苦しいときの神頼み」「神様仏様」の様に代表されるように他力本願がある。これは、庶民にとって、貧しく苦しい時にすがる対象であり、豊かとなった今ではすがる必要は無くなった。
 又、アメリカ主導の民主化により、それまで日本人の存在の根底にあった天皇神話の瓦解(自らただの人と宣言)と神の国(日の本の国の敗戦)信仰の崩壊により何も信じる物(心の支え)が無くなった日本人はその矛先を復興という名のもとに「物」に向けるのである(理解できなくは無いが)。
 同時に宗教教育も大幅に制限された。これにより国民が宗教を正しく理解する機会が奪われた(又物質主義の思想が定着した)事により、日本人の信仰心は急速に失われていった。これにより「生と死」に対する観念の変化(永遠性⇒刹那的)が現代の精神文化に影響を与えている。そして現在は自由に宗教活動が可能だが一度失われた信仰心(永遠性)はそう簡単には取り戻せない。
 その上、近年では時代の変化により庶民の知識(科学他)も高度になってきているので今までの様に簡単には教えが受け入れられなくなっている。又反面ないがしろにされてきた「心」の問題にあまりに無知であり、真理や理念に触れる事が少なくなったといってよい。これからは布教方法の革新も必要だが理路整然とした確固たる新たな真理(時代に即した)が求められているのかもしれない(オウム真理教や統一教会などはその例かも知れない)。というのは日本人は自分の存在を肯定できる「よすが」(ヒーローといっていいかも知れない)を求めているからだ。むろん日本仏教がリーダーシップを取れるとは思えないが、少なくとも原初仏教哲学思想にはその可能性はあると思う。
 という訳で、本来の仏教は自己実現の哲学であるという事実がとても重要になる。実は現代の世界の知識人にとって仏教思想は注目の的になっている。仏教思想に限らず日本の古い文化や匠の技術は、現在の日本繁栄の礎となっているものであり、世界中が注目しているのである。日本人は今一度「温故知新」という言葉を噛み締める必要がある。日本仏教も初心に返り、糞僧衣で修行をしなおす必要があると同時に宗教人には真剣に人間の心(自分の心も)というものを見つめなおして欲しい。そして日本人が誇りを持って生きられる様な新たな心の支えとなってもらえたらと思っている。
 又日本人の一人として、私自身も(できれば貴方にも)祖国日本の本来持っている良さを見つめなおし、日本人として誇りを持った生き方ができるように精進していきたいと思う。

 3.現代社会の中の自己実現と幸福

  以下に現代人の問題点をあげる

 ・現代日本においては、人は多様な(無責任な自由の名のもとに)生き方が選択できると思っている。(社会規範の中で許される範囲での自由⇒本来、自由とは無限大の自己責任を伴うことを自覚する必要がある)。
 ・「与えられる教育」の弊害により、自らの意思で創造し、外界に働きかけて変革をする力が弱っている(視野が狭く目の前の損得にこだわる)。
 ・記憶の量や処理速度偏重の教育(及び社会)により、知識の本質である理解力(洞察力・推理力・想像力・統合力等)が弱まっている(本当に頭が良いというのは物を覚えている事ではなく、理解する力だということ)。
 ・自我を発達させる(人格の形成)上で(必要・不必要を問わず)情報が多すぎて適正な取捨選択がしづらくなっている(判断力の喪失。情報に扇動されやすい)。
 ・物が豊富すぎて、大事にすべき物が分からなくなっている(物を大切にしない、人とのかかわりも損得だけで判断し自分の価値をも、おとしめている)。
 ・万象普遍の真理や、人間存在において、確固たる信念と、心から信じられる物が無い(無償の「愛(善意・誠意)」の不足、他人も自分も信じられない⇒自己喪失)

 以上のような事実からは、健全な人格形成が疎外されたため、子供の心のまま(精神の未発達)で肉体だけが成熟していく今の人間像が見えてくる(社会活動パターンや犯罪傾向はこの事実を裏付けている)。

 という訳で現代の人間の多くは以下の資質に欠けているのではないかと思われる。
 ・結果(特に勝ち負け等)にこだわらずプロセスを楽しむ(学ぶ)。目的だけを見ずに広い視野で物事を見極める能力。
 ・知識を詰め込む(暗記)のではなく、今ある知識と関連して理解する事で生きた知識としていく力。
 ・物事を決め付けず(偏見や思い込み、)、実像を観察分析する(見た目に惑わされない)姿勢。
 ・新しい知識を理解する(好奇心と解明)喜びと先人の知恵を学ぶ事がいかに大切かという事実の認識力。
 ・あせらずに時間をかけてじっくり取り組む事の大切さを知る心。
 ・人は無限の可能性をもち、目指す方向を間違わなければ必ず報われるという事を信じる力。
 ・人間は一人だけで生きているのではないという事実の自覚。

 さて、このような欠陥を持つ人間が、社会の中で、自己実現(欲望の追求と言い換えてもいい)を目指したとしたらどうなるだろう。
 自分勝手(無責任)や無関心(他人への)の台頭、良識や常識・道徳観の喪失、人間不在の経済理論と物質・効率至上主義、力(金や暴力)だけでの問題解決行動、犯罪や暴力の横行、社会システム自体の崩壊⇒戦争(内戦を含む)と破滅。
 しかしながら人間の本来の心は、安定(平和)や安心を求める。そして放っておけば破滅へ向かう人間行動を押しとどめるのが理性であり良識や道徳である。
  ここに、最終的に一人一人の存在意義と行動が問われることになる。
 尚、このような世界では、人間は何を目標に生きていけばよいかと彷徨っている危うい存在といえる。又多くの方が幸せを求めて間違った(方向が違う)生き方を選択している。

 そこで大切なのは気付く事、自分を変えようとする事が第一歩となる。

 まず、人が生きているという事実は、社会という相互依存と協力関係の上に築かれているもの。もしそれが無くなれば人は自分の生命さえも維持できなくる。もし自分の命に少しでも執着があるならば、少なくとも社会や国政のあり方に気を配るとともに積極的に関わっていくしかない。
 のであるから、本来は社会人としての責任を全うすることが求められ、その上で、
 この世で自分にできる事は何か?を問うことになる。(当然並行して、生きる糧を得る為の最低限の経済活動も、命の維持の為必要となる) 
 しかし、自分のできる事を見つける事はそう簡単な事ではない(試行錯誤の経験と時間がかかる上、苦労が報われる保障はない)し、一方、自分は幸せな人生を送りたいという単純な欲求は魅力的であり、大多数の人間が比較的簡単に実現できそうな錯覚に陥る。
 そこで大方の人間は、他人の事よりも、自身の経済的安定と物を求めて進み始めるのである。しかし、いくら経済的に恵まれようと物に囲まれようと、決して心は満たされる事は無い。何故なら満足する事(自己満足)と幸福になる事は同じで事では無いからだ

・幸福を得られる条件 

 ○自分の存在を肯定できる事(損得ぬきで、他人から必要とされている事や役に立っている自分を実感すること)。
 ○人から愛(無償の愛です)され人を愛(愛おしむ事です)する自分が実感できる事(純粋な心の絆の発見。利害関係抜きでのお互いの存在の肯定)。
 ○自分の生き方を自他共に肯定できる事(進むべき正しい道の確立と信頼)。
 ○又、上記の心のあり方を維持できる環境(平和と最低限の衣食住)が必要である。

・ただ満足を得る為の条件

 ○欲(食欲・物欲・色欲・名誉欲・知識欲等々)を満たすこと

であり、欲は尽きることが無いので永久に求め続けることになる(結局はお金持ちは持っているお金で苦しみ、貧乏人は持っていないお金で苦しむ)。
 未熟な精神においては、自己実現というと、満足する事のみを追い求め、結果永遠に求め続けるというデススパイラルに陥ってしまうのだが、幸福(上述の)を伴わない自己実現は、本当の意味での自己実現ではなく、単なる欲望の追求の結果に満足している状態でしかない(心は満たされていない)といえる(勘違いをしている)。

 本当の幸福追求とは、他人との相互作用の上で、他人も自分も同じような存在だと気付き、その中で信頼と安心を築き上げていく事に他ならない。家族や友達の関係に関しても同じ事がいえる。親は子を育てやがて子は孫を育て親になる。親という同じ立場でなければ見えてこない真実があり、それを真摯に受け止めた時、同じ人間としての大切さが実感できるのだ。曰く「孝行したい時は親は無し」。親の心と大切さは時代を超えて人種をも超えて我々の心に絆の大切さを教えてくれる。
 一方現代社会には制度上やむを得ぬ事だが貧富の差がある。しかし、富める者は富がある分多くの社会責任があり、又たとえ貧乏だろうと人間としての最低の責任があることに変りは無い(夫々の役割がある)。全世界の人間同士が同じ人間として認め合った上で、生産や消費を支えあっていくという精神の下、社会活動や経済活動を行っていく事が何よりも重要なのではないだろうか。
 社会活動や経済活動と言っても色々あるが、一番身近で重要な役割を果たすのが「家庭(家族)」という単位であろう。まず家庭内で生産や消費を支えあっていくという精神を育む事が重要であり、こういう姿勢が子育の段階で人間を成長させてくれる。親の姿勢が子供を育てると共に子供を育てる中で親も成長する。親が人との係わり合いを大切にしなければ子供はそれを学ぼうとはしない。こういう意味で家庭とは人間の社会や経済に関わる為の大切な学校であり安全地帯でもあり、入門的な大切な場所なのだ。ここで十分心を育めないと社会に出てからとんでもない事になりかねない。

 以上を突き詰めていけば、幸福を求めるのであればどういう生き方をしていけばよいのかがおぼろげなりと分かってくると思う。

 詰まるところの結論として−生きる事とは生かす事なり!
 人間社会の中で自分が本当に幸せになるためには、自分以外の人間の幸せをも実現しなくてはならないという事に気付き、自身が「幸福を得られる条件」を自身の手で整備していかなければ自分を含め誰も本当の幸福にはなれないという事だ。
 有史以来人間の心の進歩は、科学の進歩に比べるとはるかに遅れていると言える。否、殆ど変わっていないのではないかとも思えるくらいに停滞している。歴史を見ればあきらかなように、おろかな行為を繰り返し続けている。これは精神の積み上げが人類全体に継承されてこなかった事を意味するものであり、今後の地球生命はこの事を肝に銘じる必要がある。

 人の中でこそ人になるのだ(つまり他人がいるからこそ自分も存在できる)という事を理解した上で各自が自覚を持って、社会自体を作っていく事が我々の進む道であり、誰もが人として胸を張って生きていける世界は我々の行動にこそかかっている。このことに全ての人間が一刻も早く気付いて、より良い社会を実現する事が待望される。
        人類の未来は貴方(我々)の手に委ねられているのだ。 

 4.精神世界の広がり

 幸福を追求すると、必ず心のあり方の問題が立ちふさがる(逆にいうと心のあり方が幸福を定義する)

 さて究極の自己実現(幸福と安定を伴った)とは何だろうか。たとえば実在の人物としては釈迦は悟りの境地にそれを見つけた(生きていることにこだわらない)し、キリストは自分の使命を果たすこと(自分の命にこだわらない)で実現した。これを見ても分かるように正しい(信念を伴う)行動を支える心のあり方が問題になる。
 現実として今貴方が、見ている(理解している)世界は表面的な物の世界でしかないことは容易に理解できるだろう。しかし、見えない(理解の及ばない)部分で膨大な量の人の心や自然の摂理が複雑に働いているのを貴方は感じることができるだろうか?。
 あなたが知らないところで貴方の知らない法則が貴方の住む世界を作り上げているのだという事実を感じ取って欲しい。 
 又、貴方が今ここに存在するという事は、偶然でもなんでもなく、はるか昔から連綿と続く様々な人間の意思や思いの集大成であり、決して必要のない人間はいないのだということ(必ず何かしらの意味がある)を意味する。
 つまり、貴方が知っているかを問わずに、貴方も世界を作り上げている要素の一つだという事であり、これらの事は「貴方の役割」が世の中に存在することを意味している。

 という訳で目に見えない事象(存在や法則)を感じていく感性がとても大切になる(聡明なる知能で全てを理解できるのなら問題は無いが、中々そういう人間は少ないと思うので)。そしてこれが心の世界の入り口となる。「心」と言ってもここでいう「心」とは「悟り」に近い意味を持っている。
○たとえば 心のつながりや血のつながりの意味や大切さを感じること。
○自分の存在の意味や、まだ見ぬ世界の大勢の人々への目に見えぬ関わりを感じる事。
○物質世界の法則と成り立ち(人間世界の法則となり立ちも)と自分との関わりを感じる事。
○全宇宙の中で他人と自分が共にあると感じる事。

 感性と言っても、何もせず黙っていては身に付かない。日々、意識的に上記のような事柄を理解しようとする姿勢を持って、実際にたとえば大自然の中に身を置いて感じるとか、世の中にあふれる他人の善意(しっかり見極めれば分るはずです)や人との関わりの中に隠された暖かさ(勿論冷酷非道で手前勝手な意思もあふれていますが)を見逃さない。自分の成り立ちを深く考えたうえで物へのこだわりが招く悲劇や過ちは不可避なものなのかを考え抜く等やれる事は無限にある。こういった日々の研鑚の上に感性が磨かれていくのでマイペースでやれる事をやっていくことが重要だ。

 繰り返すが人間は単体では存在できないものであり、上述のような大いなるつながりの本質を理解したとき、その存在は全宇宙と一体となる(と言うより同じ物なのだと気付く)。人の心の中に宇宙があるとはこの事をさす。曰く「全ては一人の為に、一人は全ての為に」は当然の帰結であり、貴方と全宇宙の存在を肯定する。言い換えれば貴方がここに在ることが自体が全宇宙が存在する事の理由である、と同時に、全宇宙が存在する事が貴方がここに在る事の理由となっているのである。
 とにかく、自分の存在とともに自分以外の存在は「共に在る」のであり、人間は生まれながらにして一人ではない。共に存在する事の大切さを実感できた時、心の幸福(安心)が訪れるのだ。
 悠久の時間の流れの中で、その存在は「自」も「他」も区別する事自体が無意味となり、自分の為にこそ、他人につくせるのだと、心から理解できるようになる。しかしながら、悲しいかな現実に生きる人間にとって、これを理解できるようになるのはとても難しい事だと思う。しかし、貴方にも是非挑戦してみて欲しいと思う(自分のためです)。
 昔は宗教がこの役目(感じとる力)を担っていたが、宗教や信心が不在の現在の世の中では、個人の責任においてこれを見つけなければならないのはとても残念に思う。だが、一方より進化した精神を発現しうる可能性(ワクや規制が無いので)があるのは喜ばしい事とも言える。
 是非貴方も俗世の中で如何に研鑚をつめるものなのか、試して欲しいと思う。
 ところで話は変わるが、現在の人間は、心から感動する(満足する事ではない)事が無い(又は弱い)様に思う。感動の心こそが人を突き動かす原動力となりうる。 自分が感動する心を持たない人間には、人を感動させるような生き方をする事はできないのではないだろうか。
 子育てや人生において(生きる事全て)も感動する心がとても大切だという事をここで是非覚えておいて欲しい。尚、「感動」については後日改めて別項でふれていきたいと思う。

 5.諸行無常と永遠性

 ○生命の出現は全宇宙の必然の結果であり、人類は永遠の時間(変化)の流れの中に必然として存在している。

 ○この世の全ての物や事象・現象は常に変化し続ける(変化が時間という概念をもたらす)。物(物欲・性欲等のあらゆる欲望)にとらわれるという事は、変化する状態にいつもとらわれ続け、自分自身を変化に対応させる為、時間を追い続け休む暇が無い程忙しい状態が永遠に続くという事だ。ここには、変化だけがあり安定も安心もましてや目的とするゴールさえなく、あてども無い旅を永遠に続けるのみである。ここに現在の人々が陥っている精神的苦痛が存在するのであり、今後の人類の精神的進化の鍵が隠されている。
 
 ○さて、物事が変化し続ける事は当然の現象であり、変化があるからこそ進化も可能なわけであり人間にとって必要不可欠な事でも有る。
  変化は実は永遠と相反する事できなく、変化があるからこそ永遠も存在する。

 ○変化をどうとらえ、どう理解していくか、そして変化しないものはあるのだろうか

 ○物にとらわれる事なく変化の中の根底に流れる真理の本流を感じなければ本当の永遠性を見つける事はできない。
 変化を恐れたり忌み嫌うのではなく、変化の中にこそ真理を見つけねばならない。ただし、どう変化していくかが問題となる。
 変化を無視してはならない。変化の中にこそ真理があるのだ。

 ○現代人には、心の根底で安心して生きていける「よすが」(根拠=納得できる理由)が欠けている(これは「物」に心が囚われているから)。

 ○洗練され卓越(磨きぬかれた)した人間の精神(心)は必ず誰かに継承され永遠(の変化の中)に引き継がれていく。 

 ○短期的現象としてではなく、永きにわたり連綿と続く積み重ねこそが人間の永遠性を唯一保障するのでろう。

 ○そしてどんなに知識が豊富になろうとも、人格の完成と精神の成熟が無ければ、全ての知識はその価値と意味を失う。

 ○又、精神は「個の在り方」を追求するものであり、生存を永遠に保証するシステムを構築する事とは次元が違う問題だともいえる。

制作中

文責:H・飯濱


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