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貴方が生きる意味は何処にか有らん

人生の価値と意味を考える


 □人が生きる価値とははたして何なのか? 人が生きていく意味は何処にあるのだろうか?
 この問に明快に答えられる人はそう多くはないだろう。何故なら「価値」や「意味」などという概念自体が人間が作り出したものであり、その解釈の仕方によっては千差万別、十人十色あることだからだ。自分自身への回答さえ難しいこの種の答えを、さらに万人に通用するように一般化するにはそれなりに達観した見識が必要であり、その上よほど暇な人か、哲学者でなければ出来る物ではない。だからといって決して疎かに出来ない事であり、実は人にとっては一番大事なことなのである。そういう意味からもこの問題はじっくりと答えを見つけていかなければならない最大かつ最重要問題であるといえると思う。

 話は変わるが生命は必然(自然の摂理として生まれるべして生まれてくる)として存在する物であり決して偶然や気まぐれで出来上がってきたものではない。これは、この3次元空間に物質が生成された時から必ず起こるべくして定めなれた法則といってよい。ただ現在の人間がそれを認識するに足る知識がないという理由により実証できないだけであり、いつの日か必ず解明される事である。
 さて、地球上以外にも宇宙にはいたるところで様々な形態の生命が存在する。そういうマクロな見地からすると、偏狭の恒星系のとある惑星上に生息する生命の一種類である人類などは規模から言えばチリ以下の存在なのかも知れない。
 しかし、現実に地球に生きている人間としては、事はそう簡単ではない。人類がなまじ知能を発達させた為に様々な悩み苦しみ悲しみを味わうことになった。各個体が生きることとはこれを乗り越えていくこと(ただ単に生命を維持していく事を意味しているのではない)に他ならない。「乗り越える」と簡単にいうが、当人にとってはこれが実に難しいことであり、先にも述べた最大かつ最重要問題なのである。

 さて現実に貴方は生きているわけで、当然、衣食住という物質的側面が付きまとう。これは現在の人間が命を継続する為の必要最小限の条件であり、他の生命体にとっても似たような条件が必要になる。衣は環境から身体を護るための外郭であり、あるものでは毛皮であり、あるものでは硬い外骨格であり柔軟な皮膚である。食は、生命活動に必要なエネルギーを採取する手段として、あるものでは水と光であり、あるものでは植物でありあるものでは肉を必要とする。住とは、生命体が安心(安全ともいえる)して活動する為のベースであり、子孫を残す為の安全地帯でもある。こう見てくると、衣食住というのは実はほとんどの生命が必要とする要素であり、人間に特有な物ではない。

 しかしながら人間には他の動物とは異質な物がある。それは発達した脳がもたらす複雑な言語であり、深い知識であり、理性をもたらした心であるといえる。
 言葉は、人類の社会化(共同作業体化と言い換えても良い)にとっては無くてはならないシステムである。又、知識の蓄積や伝承を可能にした(言葉を共通記号化した事で記録することも可能になった)ことからより深くそして広い知識の習得が可能になり、この事により、脳はより複雑で多様な心を生み出すことになった。
 一方、生まれたての人間は、無知無能の無力な生物であり、自力では生きることさえできない。しかし、様々な環境(衣食住)と刺激(五感)を与えることにより、その成長の可能性は無限であり、この点でも他の生命とは一線を画した存在であるといえるのだが、これは悪い環境と刺激を与えられた場合は、それなりの成長をするということをも意味している。
 人間は、社会や集団の中でのみ生き長らえてきた存在であり、当然、環境(衣食住)と刺激(五感)はその中で与えられうる条件であり、その成長も社会や集団の規範に沿ったものである事が期待される(教育が重要な役目を担っている事は言うまでもない)。しかし、人間の成長は期待通りにはいかない。様々な条件により千差万別の人格や生物的変異が発生する。そこに社会が抱える問題や又当人が抱える問題が発生するのである。
 そして、現在の人間はその多様性を「個性」という言葉で尊重しようと試みているが、社会の仕組みのせいで、多様な「個性」を受け入れる土壌を未だに育てきれていない。人には無限の可能性のもと、多様な生き方ができる事は誰にも理解できよう。しかし、社会の仕組みのせいでその可能性を無駄にし、本人自身が狭めてしまっている。もし、地位も名誉も名声もそしてお金さえ必要ないとしたら、貴方はどんな生き方をするのだろうか?
 さて、最後に極論を言わせて頂く。結局、生物が生きるという事は、子々孫々に進化の情報を伝えていく事であり、人間に限って言えば、その上に精神や心、知識や知恵、技術や理論等などを何世代にも渡り積み上げていく事に他ならない。そして連綿と続く命のリレーは今も貴方の命の中に生きているのだ。こういった観点からすると刹那的個人主義(過渡的な現象と見る事もできるが)などは無責任に過ぎると言える。

   □人が生きる価値と意味は何処にあるのか?−現代日本の社会の問題点と集団の一員としての役割(社会的価値の評価)-

 ところで、ものの価値とは一つは人(社会や集団)が作り出した尺度で判断された主観的(人間にとっての)有用性の意味合い(以降便宜的に「社会的価値」と呼ぶことにする)と、
 もう一つはその物が固有に持つ客観的(人間にとってではなく)有用性(ですので人間にとって不都合な事も多々あり得る)の意味合い(以降「絶対的価値」と呼ぶ事にする)の2つの側面を持つ。尚、社会的価値の中にも価値基準のとしての「価格」で評価可能なものと価格では評価できないものが存在する。
 もの(物に限らず行為や思想等も含む)の価値(有用性)を論ずるときは、この2つの大きな違いを理解したうえで論じなければならない。
 人生の価値と意味とは、人の存在意義であり人が生きることの有用性であるともいえる。
 前述のようにこれにも社会や集団にとっての価値や有用性の側面(社会的価値)と、人そのものが存在することや生命そのもの客観的な価値や有用性(絶対的価値)という側面を持っている。前者の場合は、価値や有用性は社会や集団という人間の都合により変化するし、一方後者の場合は、永遠不変であり絶対的尺度となりうる。
 それではこれから両者の意味する人の価値や有用性について具体的に考えてみよう。

 現代社会はその構成要素の人間にとって有益である為に、人間全体のニーズにそったシステム形態(又は機能といってもいい)であることが期待される。言い換えると社会の形態は全人間の為に有益である必要がある(それには主権者である全人間が社会の形態に働きかける必要があります)。
 そして一度形成された社会はその組織(システム)が良好に機能し続ける為に、絶えず各構成要素(人間や仕組み他)を適正化(教育や育成・矯正)する必要がある。構成要素としての人間は要求される能力(スキル)や労力を満たせてはじめて、構成要素としての評価を与えられる(能力主義・評価主義)。大多数の人間にとってここがもっとも重要なポイントとなっていると思うが、実はそうは重要でもない事だとだけ言っておく。
 又社会は必要とされない(又は想定外の)能力や労力に対しては評価ができない(機能の硬直化であり、評価基準の形骸化)とともに排除作用が働く(異端児や異質物として)。ここにはシステム維持の為の無感情で効率のみを追及する姿勢(非人間的というか人間を機能としてのみ捉えている)があらわれやすい。

 前述の事には−人間の為の社会、社会の為の構成要素(人間)−という大きな命題が含まれている。理想的には人間全員の為に有益な社会がその機能を完全に果たしつつ、各構成要素である人間全員の為にもなることであるが、これは個体(構成要素)の特性により規模が大きくなるほど困難になってくる。
 たとえば社会の主権者である個々の人間の社会に対しての要求は、規模が大きくなるほどリアルタイムにフィードバックされにくくなり(議員代表制などの制度上の問題もある)、システムの硬直化という形であらわれる。又低俗な(腐敗した)議員(公務員を含む公僕)や企業主により無視されることもある(個人の権力と欲望が排他的に作用する)。
 この例では、人間が自分たちの為に作り出したシステムに自分たち人間が排除されるという矛盾が生まれる(大多数の要求は少数の要求より優先されるという効率主義や資本原理にもよっている)。 

 さて、人間の適正化(教育や育成)は本来は人間全体の為の社会形成を目的としてなされる物だが、硬直化や腐敗が進んだ社会では現実とのギャップがでてくる。又、始めは人間の為の社会形成を目指したつもりの適正化(教育や育成)の内容自体が健全な人格の形成にそぐわない場合(人間の効率的な機能のみを重視するなど-偏差値主義・成績主義)、社会は当然、効率や機能のみを追求する非人間化傾向を示し、良識や道徳は次第に失われ(重要視されなくなる傾向)ていく。だが、人間は感情を持たない単純動物や機械ではないので効率や機能のみを追及する社会システムには、生理的・精神的に適応できなくなってくる(社会矛盾が体や精神を蝕む)人間(これが普通でしょう)が多発する。
 結果として無理な(誤った)適正化(教育や育成)は人格を捻じ曲げ、結局は人間自身も社会システムをも破壊していく。
 ただし、上述の無理な適正化の過程においても、全部の人間が健全な人格の形成ができなくなるわけではない。これは個体差にもよるが個人を取り巻く環境(家庭・地域・友達等など)によるところが大きい(ご両親や近しい肉親の生き方や考え方の影響が一番大きいと思っています)。

 このような社会の中で人間は個人としてどういう対応(変化や適応)が可能だろうか。

 1.適応して、頭角をあらわす。又は出世する(人格の非人間化)。−平気で他人を犠牲にして合法的に金と地位を手に入れる。
  (現在の社会システムに即した(非人間的な)社会活動を疑問ももたずに精力的に行う存在−−金と地位は手に入りますが、世界で自分だけが幸せなどという事はあり得ません。こういう人間だけでは長い目で見て残念ですが結局は社会の荒廃を招き、自分を含め誰も幸せにできません。)

 2.適応したふりをして上手く立ち回る(二枚舌の政治家向き!)。−損得勘定で人を利用してある程度の金と地位を手に入れる。
 (現在の社会システムの中で(疑問をもちつつも)損得勘定を優先して上手く立ち回る存在−−1番安易で現実的だが、幸せになりたいという願望のみが前に出て、人の足を引っ張る事は有っても人の役に立つ事はありませんね。大部分の犯罪者はこの部類か1.か3.です。結局はモラルや良識の低下を招き、孤独な人間を生み出す事になります。)

 3.適応しきれずに迷い続け、つまはじきにされたり、精神の病にかかる(これが善良な人間でしょう)。−どうしたらよいか分からず中途半端な生き方をするか生きる気力を失ってしまいます。最近特に多くなっています。
 (迷い続け彷徨い続けるかすべてあきらめて逃避する存在−−自分の生き方を見つけられずに中途半端に妥協して生きていくか、引きこもりや心身症者、薬物・アルコール依存などになる。可哀想ですが自分の心や生き方は自分で変えるしかないのです。私としては、この人たちを応援する必要があるとは思います。)

 4.適応はせず自分のやり方を模索して折り合いをつけて生きていく(自立心旺盛な人)。−集団の中では出世するのは難しいでしょうね。
 (現在の社会システムの中でもっと人間的に社会活動をしようともがく存在−−人間として何ができるか楽しみです。幸せになるために少なくとも影響力は発揮できますね。みんなで協力して何ができるかが鍵になります。温かく見守りましょう!。)

 5.適応しないで、現状はおかしいと疑問をもち、変える努力をしたり、新たな可能性を探る(強い理想)。−活動家や指導者になり得ます。
 す。
 (より人間中心の社会システムを求め社会自体を前向きに変革しようとする存在−−とても困難ですが、いつか皆が幸せになれるという明るい希望があります。こういう人間(ある程度犠牲的精神がなければ出来ません)がいないと良くなりません。こういう方をバックアップしていかないといけませんね。)

 6.適応できずに、犯罪行為に走る(凶暴化)−社会のゴミ以下(害虫・ウィルス)になってしまいますよ!
 (自分にのみ都合の良い社会システムを求め社会自体を暴力や犯罪で変革しようとする存在−−テロリストや犯罪者は他人(全ての人間)の幸福は絶対に考えていませんよ。勘弁してほしいものです。)

  ということになろうか。はたして貴方はどれにあたるだろうか?
 この中で大部分の人間が1.か2.か又は3.であろう(社会が求める人間として)。2.が一番多く、その次に1.、最近急上昇なのが3.だ。4.は市民運動やNPO(NGO)他で動きが見られるがまだまだ少数派。5.にいたっては絶滅寸前の希少種といったところ。6.は反社会運動の極端な例ですが最近は増えつつある。

 さて、夫々の生き方を選択した(勿論成長し変化するもの−「可能性」があるのだが)人間の人生の価値(あくまで今現在の瞬間での私個人の判断で)はどう評価できるだろうか?

 1.は俗に「勝ち組み」といわれているが実はただ単に資本主義の仕組みを利用した守銭奴(個人的にあえて言うとあまり好きになれない人間が多い)であり、「金持ち」と称される人間はほとんどこれ。自分だけが勝てば、他人がどうなろうと知ったこっちゃないという人が多い(ですので企業は社会還元を行って貢献する必要があるのです。そして企業だけではなく「企業人や個人」にも社会貢献は必要です)。
 はっきり言って競争原理とは蹴落とす事ではなく、切磋琢磨してお互いを向上させる事に価値があるのであって、共栄する事が大事となる。これを理解しないで勝ち組みだの何だのと言って浮かれている愚か者が多くなると、金が動くだけで後には何ものらない不毛な社会が出来上がる。
 この様な困った人間が今は多くなった(今までも大勢いたのだが経済成長の影に隠れていた。現在の政治家にもこの手の愚か者は多い)。
 金の動き(確かに大事な要素だが)だけでは社会は成り立たない。もっとも大事なのは人の思いと係わり合いが世界を作っているという事実を強く理解した上での社会活動である。
 大勢のこの手の人間の平均評価は10点満点で言うと、2点くらいの評価しかできないのだが、ここで問題なのは権力や経済を動かしうる立場にこの手の人間が就くと取り返しがつかない事態を招きかねない(犯罪と同等の行為だと思っている)という事だ(今も大勢いる)。
 という訳で経済への好影響より社会への悪影響の方が大きいと思われるので評価は低くなる。なるべく早く人間的に大きく成長する事を望むとともに、金や物にとらわれている心を開放して欲しい。でないと他人を不幸にし続けた上に、自分も不幸になるという最悪な結果しか残っていない。

 2.は大多数の人間が属する立場だと思うが、1.の政治家や資本家にとってこの上なく好都合な人間(家畜のブタと同じレベルの人間)である。金や欲につられて操られ、1.の片棒を担ぐお人好し人間だ。結局は自分だけにとどまらず家族や他人までも不幸に追い込む結果が来る事を分かろうともしない(もともとの能力が無いのではなく、目前の都合のみしか判断できないように仕向けられている事に気付いていない)のがなんとも物悲しい。
 評価は3点、無知(知る努力をしない)は罪である。又知らなかったでは無責任にすぎる。
 幸せの本質は与えられるものでも金や物でもなく、自分で築き上げるものであり自分(又は人との関わり)の中にあるということに早く気付いてほしい。

 3.は今ある枠組みの中で人間らしく生きるために悩み続け、居場所が見つからずフラフラしている。フリーターなどもこの部類。精神的に弱い人は引きこもりや心身症他、自殺願望他様々な様相を見せる。多くが自己確立のできていない未熟な精神構造をもち、「何か」を求めて彷徨い続けています。人生は短くやり直しはできません。一刻も早く人間共同体の中の自分の存在意義(夫々の人にはその人だけができることが必ずある)に気付いてほしいものです。
 評価は4点、きっかけさえあれば4.にも5.にも移行できます。悪くすると妥協して1.や2.という事もありますが、可能性が4点を支えています。

 4.は3.の前進した状態。この方たちがもっともっと増える事で、5.の人たちも支えられ増えていきます。当然3.の方たちの支えにもなりますので評価は5点。早くこのような方が増える事が望まれますし、これが平均の市民の姿という風になれば嬉しいです。

 5.はまだまだ少ない存在ですが、なろうとしてなれるものでもありませんので、少ないのはしょうがない側面はあります。一見変わり者のように誤解されがちですがこういった方たちが陰日向になって社会を支えている側面を皆さんが理解して、一緒になって行動する事であなた自身も社会も良くなれればいいですね。評価は7点。

 6.は問題外(一切、言い訳はできません)。評価は−2点〜−5点

   以上は勿論、途中から在り方を変える人間も多い(良い方に変わる人も悪い方へ行く人も様々)。
 ちなみに無い方が良いと思われるものは犯罪などのごく限られたものとなるが、社会的価値が認められない犯罪等でさえ「絶対的価値」の観点からすると存在意義(必然として生まれ出たものとして)はあると言える。

 さて今まで見てきたように世の中には様々な人間がいて社会を作りだしているのだが、たとえ評価が低くとも夫々に存在意義(と依存関係)があり全体で一つの社会を作り出しているわけで、言い換えれば全てがなくてはならない要素といえる。ゆえに社会がどうなっていくかは貴方の生き方(考え方)にかかっているといえる。
 尚、社会的価値の評価は、その立場により評価が異なってくるのが当たり前(勿論評価する個人の技量にもよる)であり、異論のある方も多いだろうと思う。この評価はあくまで私個人が人類全体の未来を見通した上での評価をしたものであり多分に批判的ではあるが利害関係などの他意はない。だが、ここでは社会や国が評価したものが必ずしも人間にとって良い物であるかどうかは別物であるという事だけは知っておいてもらいたいと思う。

 本当に大切にすべき価値とは、他人ではなくあなた自身が熟慮し判断して、守っていくものであり、本当によいものとはそういう思いが結集し結晶した結果生まれ出てくるものなのだ。そしてこれは人の価値にも言える事であり、価値ある人間とは社会や国の評価ではなく沢山の人の思いと本人の研鑚が育てるものであり、人生の価値とは生きている間の行動(死んだ後もその業績は残る)がどれだけの人の心を揺さぶる(共感・感動させた)かが重要となるのだ(人により感じ方は異なるのだが)。ひいては人々の共感や感動が社会や国を動かす力ともなるのである。

 繰り返すようだが貴方はどれにあたるだろうか。人間が社会的に生き物である以上、他人とのかかわりによる評価は避けては通れぬ事のように思われる。しかし、この社会的評価というものは、実は立場や見方を変えるとガラッと評価が変わってしまうという相対的な性質を持っている。つまり何を基準にするかで評価が変わってしまうので、そのような社会の中で評価される側は確固たる自分を確立できなくなってしまう恐れがある。これが右へ習え文化や臭い物に蓋文化を作り出してきたのかもしれない。
 この相対的な評価というものが実は何の基準にもなり得ないという事が分っていれば、本当の(自分や物の)価値を見出す事(発見する事)ができるようになる。それが絶対的価値の見方であり、これから後述していきたいと思う。

   □人生(生命)の絶対的価値とは?−物や生命そのもののもつ本来の価値−

 命や物は必然として発生し、そのものの存在自体に意義(意味)がある。言い換えると「貴方は貴方である事にこそ存在意義がある」のであり、これを否定する事は何人たりとも(もし絶対的な存在としての「神」がいたとしても)できないという事であり、絶対的な価値基準となる。

【客観(絶対)的価値】の一例(人が人として生きるには?から抜粋)
 現実として今貴方が、見ている(理解している)世界は表面的な物の世界でしかないことは容易に理解できるだろう。しかし、見えない(理解の及ばない)部分で膨大な量の人の心や自然の摂理が複雑にはたらいているのを貴方は感じることができるだろうか?。
 あなたが知らないところであなたの知らない法則があなたの住む世界を作り上げているのだという事を感じ取って欲しい。 
 又、貴方が今ここに存在するという事は、偶然でもなんでもなく、はるか昔から連綿と続く様々な人間の意思や思い他様々なものの集大成であり、決して必要のない人間(あるいは物)はいないのだということ(必ず何かしらの意味がある)を意味する。
 つまり、貴方が知っているかを問わずに、貴方も世界を作り上げている要素の一つだという事であり、これらの事は「貴方の役割」が世の中に存在することを意味している。

 と言うわけで、人が生まれるという事は本人の意思には関係なく必然として発生するわけであり、生まれてきた本人がその価値を決定できる事ではない。本人や他人が成長後に振り返って人生の価値を見つける行為は前述の社会的価値の評価にすぎない。
 絶対的価値とは、そこに有るがままを是として捉える事からはじまる。貴方(又は物)は貴方(物)であり以上でも以下でもない存在であり、自分や他人の評価には左右されない絶対的な価値があるという事を覚えておいて欲しい。
 その上に、人間社会での評価があるのであり、極論するとこのような人間社会での評価にこだわる必要はないもいえる。
 又どんなにつまらなく思えるものや生き物にも当然絶対的な価値は存在する。ただ人間がその価値を理解できないだけであり、敢えてその上で価値評価を行い押し付ける事は、己の無能さを曝け出す行為に過ぎないといえる。
 そして、貴方が今ここにあるのは、はるか昔から連綿と続く様々な人間の意思や思い他様々なものの集大成なのだから、自分勝手な理由からその存在を否定する事(たとえば自殺や殺人)は、「様々な人間の意思や思い他様々なもの」自体も否定する(無に帰する)事につながり、全てを裏切る行為といえる。
 命を奪う行為(自分であれ他人であれ)はこういった意味から「昔から連綿と続く様々な人間の意思や思い他様々なもの」全てを否定する事であり、これを許せば人類が行ってきた全てが無に帰する事になる。と言う事は人を殺すという事は自分をも他人をも滅ぼす(否定する)という事なのだ。ここに命の尊厳があり「地球より重い」の真髄がある。
 貴方及び全ての存在はそのままで尊いものであり、なくてはならないものであり、有るがままにあり、以上でも以下でもない。

 以上の事を出発点にして人の生き方を考えてみよう。

 □人生いろいろ-多様な生き方の可能性

 人生と一口に言っても、人の生き様、生き方、生きてきた軌跡、生きる術など様々なものを含んでいる。

 人には無限の可能性が内包されている。にもかかわらず大多数の人間は自分自身でその可能性に蓋をしてしまっているという事は他のページでも述べてきた。そしてそれは社会が要求する人間像と必要とされるスキルにとらわれたり物にとらわれる事で、自分自身(本当の意味での個性)を見失っている事が大きな原因と思われる。人間は社会的な動物であり、人との関わり合いの中で人格を形成していくものであるので、これ(とらわれる事)は仕方のない事と言ってもいいのだが、以上の事実を理解した上で、敢えて自分の生きかたを決定している人間はそう多くはないというのが現実だろう。

 人の評価にとらわれず、そのままの自分を正しく認識する事が第一歩となる。

 その上で、自分の可能性を育てていく事が大事となる。

 一人の人ができることは限られているが、その人の前向きに生きる姿勢が感動と共感を呼び、不可能を可能にする。

 

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   文責:H・飯浜


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